琉球ガラスの歴史について
沖縄のお土産屋さんでよく目にする綺麗な色とりどりの琉球ガラス
どうして沖縄のガラス製品は工芸品なの?とお思いの方も多いのでは?斯く言う私も琉球民芸センター入社までは理由を知りませんでした。
ウチナーンチュ(沖縄の人)も知っているようで知らない歴史について、琉球民芸センターに入社した時に先輩スタッフから教わった【琉球ガラス】の歴史のお話しです。
昔(昭和初期1940年頃)は飲み物を入れる容器といえばガラス瓶でした。当時の生活必需品であるガラスの容器は本土から輸入していたそうです。しかし、「運ぶ途中でよく割れるよね」ってことで小さい工場、工房ができたそうです。
そんな時代に沖縄の歴史において切っても切れない戦争が起こってしまいます。
ガラス工場、工房も被害にあってしまいます。
敗戦後、何も無い焼け野原の厳しい状況のなか、当時のガラス職人たちは生きるために考えました。
駐留米軍が飲んでいたコカ・コーラやビール
その廃瓶を見つけます。??「コレ溶かして作れるんじゃね?」
まあ、やってみようと、
洗って、(ちなみにココからは現在の再生ガラス工房で行っています。)
細かく割ってカレット状にして、
割ったガラスを坩堝に入れて、(坩堝(るつぼ)とは高温にも耐える耐熱容器)
溶かして(1,300度くらい)アッチッチ!
吹いて(このイラストは空中に向かって吹いているので、【宙吹き】(ちゅうふき))
作ったことが現在の【琉球ガラス】はじまりです。
廃瓶によって製造されたガラス製品は「気泡が入ったモノ」や「厚みが均一ではないモノ」であったりと、本来ならば不良品とされていましたが、この独特の特徴を、駐留米軍が日常生活にそして帰国時のお土産として購入し、後に日本の観光客へも沖縄土産のひとつとして人気を呼び、現在に至ります。
戦争で米軍に工房を壊され、米軍が廃棄した瓶を原料にガラス製品を作り、それを米軍が購入して生活ができるようになる。先人たちの思いを考えると感慨深いものがあります。
当時の製法にならい、廃瓶を再利用し、作品を制作しているガラス作家さんが現在も多くいらっしゃいます。泡盛の廃瓶が淡いブルーのグラスになり、オリオンビールの廃瓶が柔らかい茶色のグラスに生まれ変わったりと、沖縄にしかない色合いを楽しむことができるのも琉球ガラスの大きな魅力です。
廃瓶を再利用する製法ではなく、ガラス原料を使用し制作された、南の島ならではの原色の琉球ガラスの人気も高く、「廃瓶リサイクル作品」「ガラス原料作品」ともに、多くの方々に愛用されています。
ガラス職人やガラス作家の皆さんは先人たちの想いを引継ぎながら、現代のライフスタイルに合う実用的なグラスからモダンなオブジェまで自由に、そして使う人々の生活に溶け込むように、たくさん・たくさん考えながら制作しています。
いかがですか?琉球ガラス!素敵です!
リサイクルするあたり、まさに持続可能な社会へ【SDGs】!
ぜひ、当店で素敵な琉球ガラスたちをご覧いただければ幸いです。
素敵なイラストは社員の上地が書きました。
私から上地へ琉球ガラスの歴史も語り継いでおります。